☸ インド哲学

     

  講師:野澤 正信 沼津高専名誉教授

漱石『心』論

✿インド哲学の会 第26回 六派哲学のイントロダクション 10月19日(水) 休講  
  19:00~20:30
  場所:HOTORI


  ことばの国、インド        ➤ インド思想史略説

 

 インドは二つの意味でことばの国です。一つは、議論好きということです。
とことんことばを戦わせて問題を解決しようというところがあります。インド人の議論好きは世界によく知られています。世界最大規模の民主主義国家であることが彼らの誇りです。

 

 もう一つは、逆説めいていますが、ことばですべては語りつくせないという思想が長く強い伝統をもっていることです。インドといえば、お釈迦さんですが、釈迦牟尼のmuniは、インドのことばで「沈黙の誓いを立てた隠遁者」という意味をもちます。仏教のこの側面は、禅の「拈華微笑」に表される、以心伝心による教えの伝統を作ります。これがインドの神秘の国といわれる一面です。

 しかし、仏教が成立したのは、ブッダが沈黙を放棄して、ことばによって説法を始めたからです。(*注) 

 たとえば、諸行無常ということばがあります。平家物語の冒頭で盛者必衰の理が祇園精舎の鐘の聲や沙羅双樹の花の色にたとえられて、日本では「はかなさ」とむすびつく感情豊かな表現としてよく知られていてます。

 

 インドでは、決して情緒的な表現ではありません。あくまでも仏教の重要な思想の一つで、できる限り論理的に精密に説明されるべきものです。その結果、「刹那滅」という思想が生まれました。あらゆる現象は、刹那的な存在で、瞬間を超えて存続するものは何一つない。むしろ、瞬間的な存在の連続であるからこそ、すべては存在するということを、一刹那を細かな単位に分析して論証するのです。デジタル思考に強いインドは、IT産業の勃興でにわかに現れたものではなく、古くからの伝統なのです。

 

 インドの思想の面白さは、ここにあります。ことばが決して完全なものではないとわかっていながら、あるいは、それがわかっているからこそ、できる限りことばで精密に考えを表現しようとする。こうして生み出されたさまざまな思想は、仏教に限らず、渇きを癒そうとする人に潤いを与える、汲めど尽きることのない思想の泉となっています。

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 (*注) ブッダは、すべてが因果の連鎖の中にあるという「縁起」の思想に到達して、自分が抱えてていた苦しみから脱することができたのですが、当初、悟りの内容を誰にも語るまいと決意します。そこへ、梵天が現れ、苦しみに翻弄されるこの世の姿を示して、救ってくれるよう懇願します。それを受け入れて、ブッダは説法を始める決意をします。ことばでは伝えられないという考えからことばで人を救おうと考えるようになります。

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